百歩譲って


人生の意味について仮説を立てて言及する方法の一つに実存主義の考えがあって、僕が共感しているものです.
この中の、ある方法について僕なりの解釈で説明すれば、人間には(人間の本質といえるような)本来望ましいとされる決まった状態はなく、自分が置かれた状況を判断し、何をすべきか考え、それを実行することが、個人が単に存在することを超えて重要であり、これこそが人間が生きている現象そのものである.とでも言えば良いのかもしれません.
なかなか簡単には説明出来ないのですが、個人的には、”好き勝手なことをやりましょう”と簡略化しています.
これを額面通りに受け取ると、もう犯罪者の行動原理になってしまいますから、“ただしその責任はとりましょう”の一文を加えるべきかもしれません.なぜかといえば、人間誰しも弱い部分があって、それを知った上で安心して暮らせる社会を成り立たせる為には、お互いに遠慮が必要だということです.
この考えを抜く為には、人間は相当強くならねばなりません.

ところで、例えば僕が卑猥な絵を描くとします.
もちろん好き勝手に描くわけですから、そこには僕の考えが主導的となり、なかなかいい具合いなワケです.
僕が卑猥な絵を鑑賞する場合、見ること自体は僕の考えと言えなくも無いですが、感じることはどうも違う.抗い難い何かがあって、この辺りは超人になって乗り越えなければダメみたいです.
ここで人間の本質について、僕が百歩譲るのはこのためです.

これはあくまでも僕の解釈です.
一般論が知りたい人は図書館に行きましょう.
(僕はほとんど行きませんが!)

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