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10万ヒット記念 |
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「中世坐式分娩図」
中世では出産は公開のものでした。王や領主を継ぐ子が確かに妃の股から出てきたものである事を証明するためです。現代のように書類の届け出のない頃は目撃者が唯一の証明手段でした。結婚式などでも大勢の客が集まり、そこで客どうしが殴り合いをしてその痛みで結婚を記憶したという話がありますから。
ルイ七世だか九世だかは出産がよく見えるように、産婦が寝て脚を開いて固定する仰臥式分娩台を開発させて、じっくりとその様子を目撃したといいます。
この分娩台が産婦人科医師にとって楽であったために、20世紀まで改良を重ねながら使われ、多くの産婦の難産を演出してきたのです。現在では坐式に近いスタイルの分娩台が主流ですが、古人の知恵にならったということでしょう。ちなみに今の分娩台開発の主眼は産婦にとって恥辱と憎悪の的の脚を開いて固定する「脚のせ台」をいかに「脚のせ台」に見せないかの研究だそうです。
公開出産はマリー・アントワネットが初産の際これを嫌がって難産になった事でフランスでは取り止めになってしまいました。
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