「羞恥心。」なんという魅惑的な言葉の響きでしょう。
私はある時から、この言葉のもつ深遠な意味のとりこになりました。
それは、出産時に生じる、激しい羞恥の感情が、出産時の女性の魅力的な表情をよりいっそう際立たせていることに気づいたからなのです。
女性としての自然な恥じらいの感情。真っ赤に染まったほほ。う〜ん。素敵だ(笑)
ずいぶん前から出産時にとても恥ずかしい思いをしているだろうな、とは思っていましたが、ある日、それは想像以上であること、また、そのような状態を的確に表す言葉としての「羞恥心」というフレーズに出会うことになります。
それは、「男性助産師問題」というのを知った時です。
ある日、左薬指に指輪をはめて(これは、私なりの羞恥心緩和の手段です。いかにも「奥さんのために買ってるんだよ!」っていう風を装うため)出産ツールを物色していた時のことでした。
「お産ー女と男と(羞恥心の観点から)」という本を見つけました。
ちょっとこれを買うのは恥ずかしいな、と思いながら、当時は全く初めて目にした「男性助産師」という言葉に釘付けになり、羞恥心もわすれて購入しました(笑)。
それ以後も、助産婦さんの業界紙や、医学雑誌等でこの男性助産師についての記事をたくさん集めました。
ただ、今でこそ名称変更されてにわかに現実味を帯びてきた男性助産師ですが、当時はまだまだ実現はかなり先だろうな、とは思いつつも、男性助産師のいるオランダやイギリスに行きたいな、などと思ったこともあります。
このような男性助産師、残念ながら反対する女性がかなり多いようですが、その反対理由としてとりわけクローズアップされていたのが「出産時の羞恥心」であり、その奥深さのとりこになってしまったのです。
思うに、出産というのは、特に今でも主流である病院出産であるならば、かなり多くの人の前で長時間脚を広げて女性器をさらし、思いきりいきんで胎児を排出する行為ですから、恥ずかしいのも無理はありません。
通常でも数人、場合によっては看護学生の実習等で十数人の人達にかこまれて出産することもあるそうです。それも、大学病院等では本人の許可を事前に得ることもなく、陣痛が始まって苦しんでいるときに実習の申出があり、やむをえずということさえ・・・う〜ん。女性って本当に大変だなあ。
(私個人としては、もし女性に生まれかわったらそのようなシチュエーションで産んでみたいな、などと思うこともあります・・・単なる妄想です。女性のみなさん、ごめんなさい・・・)
このような出産時の環境については、医学の進歩によって母親や、乳児死亡率は著しく減少しましたが、こと羞恥心の観点からすれば昔よりも女性にとって出産環境は悪化しているともいえるようです。
昔は、分娩体位もいきみやすい座位が主流で、また産婦の羞恥心を緩和するため、脚に布等をかぶせて女性器が露出しないようにして、産婆さんも手探りで助産していたそうです(イラスト参照)。
まさに名人芸ですね。
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